私にとってバイクは「友達」 バイクの田中商会

クリニック周辺で頑張る人々の姿をインタビュー記事と写真で紹介する「地域の主役たち」。どのような思いやこだわりを持って取り組んでいるのかなどをお伝えしていきます。

国道386号線沿いに店を構える1960年創業の田中商会。HONDAバイクの代理店として63年間この地で営んでいます。店主の田中裕さんが「H・A・R・T」とロゴが入った白いキャップとHONDAのオーバーオール姿で迎えてくれました。

 

 現在75歳の田中さんは昭和45年に福岡大学を卒業後、家業を継ぎました。「当時、世の中は就職率が高く、大きな会社に勤めるチャンスでした。バイクには興味がなかったので、東京の会社に就職しようと動いていました。しかし、両親から手伝って欲しいと言われて。一度は断ったものの、再度母親からお願いされ現在に至っています。母には勝てませんからね」と、柔和な笑顔を見せてくれました。

 当時は「スーパーカブ」や「ラッタッタ〜♪」というフレーズで人気に火がついた「ロードパル」などを取り扱っていました。土地柄もあり、購入者は農家の方がほとんど。バイクを卸す販売店も100店舗近くあったそうです。

 働き出すも、バイクに興味がなかったため知識はゼロ。そんな田中さんのバイク屋としての始まりは、父親から唐突に言われた「販売店へ営業に行きなさい」の一言でした。「とて も厳格な父でしたから、知識がなくても実践で覚えなさいと。あそこのお店に行きなさいと言われて、次にどのお店に営業に行けばいいかは、そこのお店の人に聞きなさいって。訪問しても何をしていいか分からず、こんにちは、今度入りました田中裕ですと自己紹介をしました。すると、相手の販売店さんが温かく迎え入れてくれて、何も分からないのでバイクのことを教えてくださいと言ったのが始まりです」。それからは、担当エリアの販売店を何十件と回る日々。顔を売り、バイクの知識や商売に関するイロハを学んでいきました。

 営業へ行く時は顔を出すだけではなく、ほうきと雑巾、バケツを手に店舗の掃除をして回るのが日常でした。「ヤマハやスズキを取り扱う販売店はもちろんあり、他メーカーとの競争は尋常ではありません。販売店さんとのコミュニケーションが何よりも大切なので、他の営業マンがしないことをして喜んでもらい、売っていただいていました」。がむしゃらに働く毎日、休みはお正月の3日間とお盆の3日間のみでしたが「私が特別なのではなく、当時の働く人はみんなそうでしたよ」と振り返ります。

 

 移り行く時代の中、生活の足が自転車からバイクが主流となり、主婦たちにとっても身近な乗り物になりました。そこでアイデアマンの田中さんが考えたのが、運転免許の勉強ができる安全運転教室です。専任講師の資格を取得し、土日の勤務後に販売店が集めた十数人へ道路交通法などを教えて回りました。「毎週教室を開いていたので大変でしたが、おかげでバイク人口が増えて販売店さんに喜んで貰えました」

 講義後は免許取得のため、福岡試験場まで送迎することもありました。合格した主婦の方たちから喜びの言葉を聞けた時は「頑張って講義をした甲斐があり、嬉しかったです。その後、購入して頂いた方には乗り方を教えていました。購入後もフォローをしていくので、お客さまとの関わりはずっと続いていました。人の役に立っているということを身をもって感じ、生きがいでしたね。自分が動けば、答えが必ず返ってくるので苦にも感じませんでした」と、顔をほころばせます。販売店やお客さまとの信頼関係を築いていきながら、何年も教室を続けました。

 ある日、販売店からモトクロス専用モデルのCR80に乗ってみないかと勧められた田中さん。「こんなスピードが出そうなバイク、よう乗りませんわ」と思いながらも、跨いでアクセルを回してみました。すると、パン!と前輪が浮いて「空を飛んでいるような感覚」に。一気に魅了されました。バイクライフを楽しもうと、販売店とのクラブチーム「H・A・R・T」を結成。モトクロスの試合に出たり、メンバーたちと各地にツーリングへ出かけるのが趣味となりました。九州の道は制覇して北海道まで行ったこともあり、いつかはまだ訪ねていない東北の道を走って全国制覇をするのが夢だそうです。事務所の壁には、メンバーたちとのたくさんの記念写真が大切に飾られていました。

 「風に吹かれながら自然の音や匂いを肌で感じられたり、バイクを通じて知らない人でも語り合えるのがバイクの魅力だと思います。これからはぼちぼち働きながら、家族や仲間、友人、人との触れ合いを大切にしていきたいです。私にとってバイクとは?良い友達ですね」

 

 

◆田中商会 〒838-0068 福岡県朝倉市甘木1−8

 

2023.10.25